先週の土曜日、おじいちゃんがとても遠くて見えないところに逝ってしまった。 89歳だったけれど、歳相応に見えず、どこか老人と呼ぶには似つかわしくない人だった。 2ヶ月前くらいに会ったときには、上背のある背筋がしゃんと伸びて元気で、 いつからかひとまわりくらい小さくなった背中にも、 いつの間にか真っ白になってしまった頭髪にも、 何の迷いも疑いも抱くことなくいつものおじいちゃんだった。 亀戸の祖父母の家に私が遊びに行くと、彼はいつもちょろっと居間に出てきて、 何を話すこともなくテレビを見たり新聞を読んだりしては 私の元気なのを少し離れた視線で確認している様子で、 たまにぽっかりと会話に穴が空くと、 ひと言ふた言あたりさわりのない質問を私に投げかけて、 その返答を噛み締めるように「ふーん」とか「そうー」とか言ってみたりするだけ。 元海軍の彼はとても変わった人だった。 自分の食べるご飯をおばあちゃんに作らせようとせず、 自分の洗濯物も洗わせようとしない。 まるで自分の許容できる範囲を隅から隅まで完璧にまっとうして生きているような、 そんなストイックさがあった。 私はそんなおじいちゃんを、小さな頃から異国だと思っていた。 それは亀戸の家という場所に抱いていた感覚の話だが、 あそこはいわゆる"おじいちゃん&おばあちゃんち"ではなく、 表立ては"おばあちゃんち"であり、 そこに属するうらぶれた渋い横町みたいな感覚でおじいちゃんという存在がある、 そんなかんじだった。 実際おじいちゃんは実に単独で私たち孫と接した。 彼の生活サイクルは完全に独立した国家で、 その一貫である早朝のサイクリングに、 よく私を自転車の後に乗せて連れて行ってくれたりした。 人気のない朝の匂いのする隅田川沿いの坂道を、 ものすごい速さで駆け下りたことをとてもよく覚えている。 それからおじいちゃんはミュージシャンだった。 戦時中に東京音楽学校(今の東京芸術大学音楽学部)を奨学金をもらって卒業し、 それからずっと軍隊のバンドなどでトロンボーンを演奏していて、 大阪万博や天皇に招かれて演奏したこともあった。 でも地位とか名誉とかそういうものにまったく興味のない人で、 天皇陛下からもらったありがたい懐中時計を、 人にあげたかなにかしてなくしてしまったという逸話があるほどだ。 私が物心つく頃にはピアノの先生をしていて、 遊びに行くといつも私を膝に乗せてピアノの弾き語りをしてくれた。 よく聴かせてくれたのは、井上陽水と知らない英語の曲。 私はおじいちゃんの指が鍵盤を滑らかに叩くのを見るのが好きだった。 2月20日。 おばあちゃんから突然「おじいちゃんが癌で、私にとても会いたがっている」と電話があった。 今まで本当に病気と無縁だった人だったので、 一瞬何かがひっくり返ったような感覚がした。 それにおじいちゃんが会いたいと言うのを聞くのも初めてだった。 すぐに会いに行きたかったけど、結局私が会いに行ったのは25日だった。 その日は雨が降っていて、ズボンの裾を濡らすであろう雨水が外出を億劫にさせ、 私が亀戸に着いたのは夜の7時近かった。 祖父母の家は、公営の団地の5階にある。 おじいちゃんの部屋は、玄関を開けてすぐの襖に仕切られた小さな畳の部屋なので、 傘をまとめてインターフォンを鳴らすと、神経質そうに声を抑えておばあちゃんが出てきた。 この家には、おじいちゃんとおばあちゃんと、 もう一人私の母の弟にあたる叔父さんが住んでいる。 おじいちゃんは私が来るのを起きて待っていたけれど、 待ちくたびれて眠ってしまっていたらしい。 叔父ちゃんが部屋に入って、 「ナホちゃんが来たよー」とおじいちゃんを起こしに行ってくれた。 築何十年の廊下の板を軋ませて襖を開けると、 いつものスタンドライトの灯りに照らされて、蒲団に身を埋めたおじいちゃんの姿が映った。 一瞬にして内側で、高く積み上がった何かが大きくゆらいで崩れ落ちた。 眼をゆっくり開いて、おじいちゃんが私を見た。 私は崩れ落ちたものを熟練の技で持ち直した。 蒲団の片隅に座る。 おじいちゃんはまるで別人のようだった。 鉄人28号のようだった立派な顔立ちが、まるでE.Tみたいになっていて、 小柄なおばあちゃんの方が、よっぽど大柄に見えた。 しっかり声を出すように気をつけながら私が「おじいちゃん」と呼ぶと、 おじいちゃんは焦点をふらふらさせながら、不思議そうに幼い子供のような表情をした。 本当に子供だと思った。 叔父ちゃんが「ナホちゃんきてくれたよ」と言うまでの長い沈黙のあいだ、 おじいちゃんは私が誰だか判らないようだった。 子供のような動物のような純粋なしぐさを見ながら、 私はおじいちゃんの中の私のイデアを思った。 「ナホちゃん、変わっちゃったから」 と、絞り出すようにおじいちゃんが言った。 最後に会ったのは2ヶ月前だ。 「髪切ったんだよ」と、私はいささかはぐらかすような気分で言った。 それからおじいちゃんの手を握った。 おじいちゃんは一瞬びっくりしたような表情で自分の手を握る私の手を見た。 他人との距離を遠めに置く性格なので、 こういう直接的なコミュニケーションには異物感を感じるのかも知れない。 そんな元来の性格がこんな時にも顕著に出ているところが、 まさしくおじいちゃんらしかった。 握った手は温かかったけど、少し柔らかすぎる気がした。 でもしっかりと握り返してくれた。 私を認識する光が戻った気がした。 掠れて、声を出すのも辛そうにしながら、 「ナホちゃん、小さい時よくおんぶしてあげたね」 と言った言葉が、私が聞いたおじいちゃんの最後の言葉になった。 それから眼を閉じてじっと息をしているのを、 私はおじいちゃんの手を握りながらしばらく眺めていた。 そしてこの時を最後に、おじいちゃんの意識がはっきりと戻ることはなかった。 次にお見舞いに行ったのはその4日後だったけど、おじいちゃんはもう眠ったままで、 苦しい時に壁を叩いたり、叔父ちゃんの名前を呼んだりする他は 意識を取り戻すことはなかった。 そして3月4日午前9時、おじいちゃんは遠くに旅立った。 昨日今日、その様子をしっかりと見送ってきた。 私はこれからもがんばって生きようと思った。
by nahog
| 2006-03-06 01:45
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